2006/12/30

妻への挽歌

悲しい言葉が 一杯詰まった 詩集を 
1冊持って 夜汽車に乗れば 
涙が 溢れてくるでしょうか
たった一人で 乗った 自分が 
悲しくて 泣くのでしょうか
それとも 置いてきた女が 哀れで
泣けるのでしょうか

バケツ1杯ほども 泣けば 
悲しい過去に さよならが できるでしょうか
汽笛も 悲しく 泣いてくれるでしょうか

どこに行けば 見つかりますか
思いっ切り 泣ける場所は 
どこに行けば 見つかりますか
溢れる涙を 拭う場所が

タライ一杯ほども 泣いた時
明るい明日が 来るのでしょうか

2006/12/24

見舞いを心待ちにする妻

 もしも空が飛べたら・・・。
幾度そう思ったかもしれません。
いつもいつも私は夕方、車を飛ばして病院へ急いでいました。
最初の頃は福岡大学病院へ、それから九州ガンセンターに。
急いでくれ、道を空けてくれ、と心の中で叫びながら、1分でも早く病院に着けるように急いでいました。
そんなに急がなくても、早く仕事場を出れば済むことなのですが、いつもギリギリに出ては急いでいました。

福大病院の頃は春の気候がいい時分でしたが、ガンセンターの頃は雪がちらつく寒い季節になっていました。
日は早く暮れ、寒々しい風景の中をひたすら車を走らせたものです。
もし、空を飛べる車があれば、渋滞にも巻き込まれずスイスイと行けるのにと思いながら。
いま思えば、よく事故を起こさなかったものです。

 病室に行ってもそんなに長い時間いるわけでもありません。
共同部屋ということもありますが、昔から見舞いは苦手でした。
それでも1日1回は顔を出すようにしていました。
時にはベッドで一緒に夕食を摂ったり、妻のベッドに寝ころんでTVを見たり。
たまに1日2回顔を出すと非常にうれしそうな顔をしてくれました。
逆に顔を出せなかった日の翌日は、何もなかった風を装いながらも、「昨日は忙しかったんでしょ」とそれとなく聞いてきます。
そんな時は寂しい思いをさせたと反省しきりです。

 時々そっと妻が言いました。
「○○さんは一度も旦那さんが見舞いに来ないのよ。日曜日ぐらい来てあげればいいのに。
娘さんは時々来ているけど」

 ご主人が来ないのは単身赴任か何かかも分からず、
別に仲が悪いわけではないのかもしれません。
でも、妻のその言葉に、やはり毎日見舞いに来て欲しいのだなと感じました。

 いま思えば、仕事を休んででも、もっと側にいてやるべきでした。
「仕事をしないといけないから」
そう言って、私は仕事に逃げていました。
「ちゃんと仕事をしてね」
妻は私を気遣ってくれました。

 なんとか年は越せそう。
でも、次の年は・・・。
これが最後の正月、とは思いたくない。
しかし、現実を直視すれば・・・。
病室を出て、真っ暗な冬の夜の中に立つ時、とてつもなくやりきれない気持ちに襲われます。
この世には神も仏もないのか・・・。

2006/12/22

藁にもすがる気持ちを利用する商売も

 気功で本当にガンが治るのでしょうか。
ある人は治ると言いますし、効いたという人もいます。
私には分かりません。
でも、効くかもしれないものを捨てるわけにはいきません。

 長崎まで行けなくなったので今度は向こうから来てもらうことにしました。
治療に行けば1万円で済みますが、来てもらうとそうはいきません。
実際、アシスタントのような女性から「こちらにお見えになる時は1万円でいいのですが、そちらまで行くとなると1日がかりになりますから、その辺りのことは考えて下さいね」と要求されました。
もちろん交通費もかかりますから、その辺は考慮しなければと思っていましたが、果たしていくらがいいのか。

 尋ねてもいくらという返事はなく、5万円の人もいれば10万円の人もいます、と言われました。
この幅がミソです。じゃあ5万円にしようとはならない。
 コース料理が松竹梅とあれば常に最も高い「松」を頼む人もいますが、私などは大体「竹」か「梅」です。
日本人は中庸を好む、ではありませんが、やはり真ん中の「竹」を頼む人が多いのではないでしょうか。

 ともあれ、そう言われて私は6万円にしようと思いました。
だが、治療が終わった後、妻は私に「7万円渡して」と言いました。
たしかに端で見ていても一生懸命に気を送ってくれているのが分かりましたし、「いい方向に進んでいますよ」という言葉に一筋の光明を感じもしましたから、私も妻に同意し7万円を渡しました。

 藁にもすがる気持ちーー。
気功でガンが縮小しているといわれれば、ついその言葉を信じてしまいます。
ただ、気を当ててもらった後、妻は元気になるどころか疲れてすぐ寝込んでしまいます。
それでも痛みが激しいと電話をして、遠隔治療をしてもらっていました。

 実は私はこの遠隔治療に疑問を感じていました。
気の存在は疑っていません。
昔から「手当て」というように、手を当てることで病を治していたのです。
それは「気」を当てていたということで、まさに気功の場合は手を患部にかざし「気」を送っていくわけです。
しかし、「電話で気を送る」という言い方には疑問を感じてしまいます。

 妻が罹病してから宗教とも気功集団ともつかぬ変な会合に参加したことがあります。
実技試験に参加するので、そのモデルになって欲しいと頼まれ参加したのです。
そこで見たのは一種の集団催眠のような儀式でした。
「○×の神様お願いします。このジュースのあ~じ変われ!」と、まるで漫画のようなおまじないを教祖(?)が唱え、呪文を唱える前と唱えた後でジュースを飲み比べて、味が変わったというのです。

 私をその集会に連れて行った友達は、ちょっと段階を踏めば誰でも空に浮かぶ雲を念じて移動させたり、雲の形を変えたりできると言いましたが、私の前でやった時は何も変わりませんでした。
変わるわけがありません。ただし、上空に風がある時は非常に短時間で形を変えていきます。
そういう時を狙って、実行させ信じさせているわけですから、これはまやかしです。

 その時のモデルというのは友達が手をかざし、私の体の欠陥を探し、次にはそれを治すというものです。
大抵モデルになった人は1回目の「治療」で「痛みが消えた」と言います。
まだの人は2回目の治療を受けるわけで、この段階でほぼ全員が「痛みが消えた」と言います。
それでもまだよくならない人は3回目を受けるわけですが、私を含め3回まで残った人は5人ほどでした。
結果は3回目も変わらなかったのですが、友達に気の毒になり、痛みが消えたと言いました。

 この集団で「不思議な力」を身に着けるには70万円程いるそうです。
逆に言えば、70万円払えば誰でもその力を身に着けることができるわけです。
その一事からしてもちょっと信用できません。
 これと気功が同じとは言いませんが、病人の藁にもすがる気持ちをうまく利用した商売が健康食品を含めいかに多いことか。

2006/12/21

奇跡を信じたかった。

 私は運命論者でも宿命論者でもありません。
それでも「もしかしたら」と思うことが、時にあります。
友人から気功の先生を紹介された時がそうでした。

 個人的には太極拳や気功を健康のために物真似程度にやったことはあります。
でも、それでガンが治るなどとは思ったことがありません。
だから、友人が気功の先生がいると話してくれた時も、紹介して欲しいとは言いませんでしたし、信じる気にもなれませんでした。
それから数カ月後に同じ友人から再び気功の話を聞いた数日後のことでした。
別の人から同じように気功の先生を紹介しようかと言われました。

 私は何事に付け3度言われると行動を起こすようにしています。
同じ友人から時期を置いて2度、そして別の人から勧められたので計3度勧められたことになります。
これもなにかの縁かもしれない。
そう思いました。
そして妻に気功のことを話しました。
 何事に付け本人が信じなければ効果はないと思っています。
だから、妻がほんの少しでも躊躇したり首を傾げたら止めるつもりでした。
でも、その時、妻は行ってみようか、と言ったのです。

 1月中旬のある日。その日は雨が降ったり止んだりしていました。
私は妻を助手席に乗せ、自宅を朝8時に出て長崎に向かいました。
妻はずっと眠ったままでした。
 ところが、長崎自動車道に入り金立サービスエリアの少し手前で、行く手にきれいな虹を見ました。
虹は高速道路をまたぐような形で、きれいな半円形を描いていました。
大抵、虹はどこかが切れているものです。
ところが、この時の虹はまるで映画の中に出てくるような虹でした。
7色を数えられる程、色は鮮やかでしたし、なにより端から端までくっきりと見えたのです。
 こんなきれいな虹を見たのは子供の頃の記憶にもありません。
その虹の中をくぐるように私達は進んだのです。

 奇跡が起こるかもしれない--。
そんな気になりましたし、そう思いもしました。
そして、そうなることを願いました。
「幸先いいよ」
私は妻の手を握りそう言いました。
それからサービスエリアで1杯のうどんを分け合って食べました。
年が明けてから食欲がなく、ほとんど食事ができなくなっていた妻ですが、この時は「おいしい」と言ってうどんを3分の1程食べました。

 気功治療を終えた後、先生が「思ったより素直だった。必ず治ります」と言ってくれました。
そして昼食に玉子丼をご馳走になりましたが、この時も妻は3分の2程食べたのです。
食欲があるというのは元気な証拠です。
来てよかった。
正直、そう思いました。

 そして、帰り道、また同じ場所で同じように虹を見たのです。
1日に2度も、同じ場所で虹を見たのです。
祝福されている。
本当にそう思いました。

 虹が出ることについて科学的な説明は付きます。
でも、それを私達が見る確率は低くなります。
その時間にそこを通らなければ見えなかったでしょう。
それも逆方向に走っていたら、太陽との位置関係から言って見えてなかったはずです。
しかも、帰りも見る確率はもっと少なくなります。
 普段は奇跡など信じない私ですが、この時ばかりは本当に奇跡が起こるかもしれないと思いました。

 すべてがうまく行っている。
そう思い、2人で喜びました。

ところが、翌日から妻の状態に変化が出ました。
ぎっくり腰のようになり、腰が痛み出したのです。
車での遠出が応えたようです。
私が掛かり付けの整骨院に連れて行きましたが、マッサージもあまり出来ないし、ほとんど治療らしいことは出来なかったし、少しでも体に負担がかかると「痛い、痛い」と泣きました。

 この日以来、妻に腰の痛みが加わりました。
そして「痛い、痛い」と泣くようになったのです。
いままでほとんど弱音を吐いたことがない妻が子供のように泣くようになりました。
こんな弱い妻の姿を見たのは初めてです。
まるで思考も停止したように、痛がり泣く姿に正直腹立たしささえ覚えたほどです。

 とうとう妻の腰は変形してしまいました。
老婆のように曲がったままで延びなくなったのです。

 もし、気功治療に長崎まで連れて行かなかったら・・・。
もしかしたら、私が妻の寿命を少し縮めたのではないか・・・。
少なくとも余計な痛みを感じさせるようにしてしまったのは事実です。
いまでもそのことを悔いています。
同じ場所で1日に2度も虹を見る偶然に出合ったというのに、
奇跡は起こらなかった・・・。

2006/12/17

今度は痒い副作用

 妻が臭いに非常に過敏になったのは、どうもMSコンチン(モルヒネ)の軽い副作用のようでした。
 その後も臭い過敏症は続きましたが、5月に一時退院してからはそれに痒みが加わりました。
最初は腕、それが足、背中、腹、首とどんどん痒いところが移動していくのです。
痒い箇所が広がっていくのではなく、次々に移っていくという感じです。
終いには目まで痒いと掻き出しました。

 痒みは特に、夜寝ている時に酷くなるらしく、そのため睡眠不足とイライラが募り、夏場にかけてかなり苦しみました。
 この頃はMSコンチンの服用量もそれ程多くなかったのですが、とにかくこの痒みにはかなり参りました。
MSコンチンの量を少し減らしてみたりしましたが、ほとんど関係ありませんでした。

 その内、「パイロゲン」を薄めて痒いところにスプレーしてみればどうだろうと思いつきました。アトピー性皮膚炎や火傷などがこの方法で治ったと書いてあったからです。
 もしかしたら痒みにも効くかも知れない。効けば儲けもの、そんな気持ちで試したのですが、これが意外に効果がありました。

「痒いのが止まった」「夕べはぐっすり眠れた」。妻はそう言って喜びました。
 ただ効き目に持続性はなく、何度もスプレーしていると、ブドウ糖やリンゴ酢などが入っているため肌がベト付いてくるのが問題で、特に夏場はそれでなくとも汗で気持ち悪いこともあり、いつの間にか止めました。

 というか、いつの間にか痒みをそれ程感じなくなったのです。
身体が薬に慣れてきたのではないかと思います。
そして、その頃からMSコンチンの服用量が増えていきました。
痛みが増してきたのです。
 でも、最期までそれ程大きな副作用に悩まされることがなかったのは幸いでした。

2006/12/16

病室で二人一緒に食べる食事

 病気は体力との勝負です。体力を付けるためにも食事は摂らなければなりません。
でも、おいしくない、欲しくないと思いながら食べるのと、おいしいと思って食べるのでは明らかに効果が違います。
そこで私は妻に、3時前後に電話をしてくれるように頼みました。

「今日はどんな感じ? お昼は食べられた?」
「だめ、午前中の様子では食べられるかなと思ったんだけど、出てきたものを見たら食べられんかった」
「じゃあ、なにか買っていこうか。何がいい」
「お寿司が食べたい。巻き寿司みたいなものの方がいい」

 こんな会話の後、夕食の時間に間に合うように、食べ物を買って届けていました。
妻には私が買ったものを、代わりに私が妻の病院食を食べていました。
「結構おいしいじゃないか。だけど、これはちょっと味が濃いね」
とか言いながら。

 ついこの間まで私達の夕(夜)食は8時半から9時頃でした。
6時頃に食べたのは結婚間もなくぐらいで、以後ずっと私の夕食は早くて8時、大体9時前後でした。
仕事の関係で2人とも帰宅時間が8時過ぎですから、どうしても食事時間は遅くなっていました。

 病院のベッドの上という環境を除けば、2人一緒に食べる食事は楽しくもありました。
妻は私が買った物を、私は妻の食事を食べるという関係も一役買っていたのかも分かりません。
 食事が終わった頃に看護婦さんが必ず食事のチェックに来ます。
「今日は3分の2ぐらいです」
「あらっ、でも、きれいになくなっているわよ」
「主人が食べたんです。私は主人に買ってきてもらったものを食べたから」
 そう言う時の妻は少しうれしそうでした。

2006/12/14

臭いに過敏になる。

 病は時としてその人の隠れた姿を顕わにします。
実は、妻は大らかなタイプだと思っていました。
少なくとも神経質ではない、と。
 でも、最初の入院以来、妻は臭いに非常に過敏な反応を示すようになりました。
元々臭いには敏感な方でしたが、病院の臭いが鼻に突く、と訴えだしたのです。
やがて、その臭いは着ている毛布やタオル、ショールにまで移っていきました。

 病院の臭いというと消毒臭を思い浮かべますが、妻の場合はどうもそうではなかったようです。
それだけにこちらも「あまり気にしない方がいい」としか言いようがありません。
その内、病院食がおいしくないと言い出しました。特に汁物や煮物を嫌いました。
原因はやはり臭いです。
それも中途半端な臭い、微かな臭いに敏感なようでした。

「味噌汁がぬるくておいしくない」
 と妻が言いました。
いままであまりいろんなことに不平を言う妻ではなかっただけに、食事への過剰とも思える反応には私の方が少々戸惑ってしまいました。

 たしかに病院の食事はおいしいといえるものではありません。
それでも昔に比べると随分改善されていて、温かい物とそうでない物は分けて運ばれるなど、できるだけおいしく食べられるように工夫されていました。
 正直、私などは配膳車の装置を見て感心した程です。それでも家で食べるように出来立てというわけにはいきません。
 結局、妻は冷えて(冷やして)臭いがしなくなった物だけを食べていました。
薬の副作用で嗅覚が鋭くなったようです。

2006/12/13

病院に欠けているサービス産業の視点

 私が胃カメラ検査を怖くなったのは情報開示(インフォームド・コンセント)がしっかりなされていなかったからだ。
説明不足で、しかも選択ができない中での診察・治療は怖い。
ホームドクターと話をしたお陰で私の不安はかなり和らぎ、やはり過去のカルテがある病院に行くか、という気持ちになり帰った。

 だが、その日の午後、知人から他の病院を紹介され、結局、新しい病院で検査を受けることにした。
そこは鎮静剤を打つ方法も打たない方法も選べると聞いたからだ。

 そして検査が始まった。
医師の説明を受けながら、モニターで自分の胃の内部を見ていく。
胃カメラが十二指腸の入り口までなかなか入りにくかったこともあり、時間もかかり、正直苦しかった。
でも、行われている診察をリアルタイムで見ている安心感はあった。
鎮静剤を打ってないため診察中ずっと緊張は続いたが。

 病院を替えるといろんな発見もあった。
「医師と患者の信頼関係は情報開示とサービス、そして医療技術」と先ほど書いたが、それらすべてのベースになるのはコミュニケーションである。
そして、このコミュニケーションを取りやすくするか否かは医師の態度が大きく影響しているということに気付いた。
事前説明をする時の態度、話すスピード、話し方によって、患者はその医師に信頼感を持ったり不安感を持ったりするのである。

 さらに追加すると、施設内空間の演出、デザインである。
そこまでいわなくても、例えば薄汚れた感じの診察台、カーテン、汚れた備品(モニターその他の機器)、埃がたまった待合室の棚などを見ると、とたんに不安感が増してくる。
どんなに技術はいいと言われても、いきなりそれを信ずる気持ちになれないのは当然だろう。

 いま多くの医療機関が経費削減、効率主義に走り、人を減らしている。
その結果、直接医療行為に関係ない部分には手が回らなくなり、掃除すら出来なくなっている。
だが、病院もサービス産業だという認識に医療関係者全員が立つべきではないだろうか。
そうする方が病院経営を立て直すことができるのではないかという気がした。

医療機関も、外部の人間を入れて改善委員会を作ってみてはどうだろう。
いっそNPOで医療機関経営改善委員会みたいなものを作ってみるか。
医療ミス・過誤、破廉恥行為など最近では「先生」はなんでもありになっている。
信頼される医療とは何かを考えるには外部の力を入れた方がいいし、そのためのお手伝いならしてみたいと思う。

2006/12/12

患者の安心感はどこから来るか。

 ここ数カ月、私は少し困っていた。
内視鏡検査をする必要性を感じているのだが、どこの病院に行けばいいのか決められなかったからだ。
以前検査してもらった病院に行くか、それとも新しいところに行くか、の選択ができなかった。
それぞれに一長一短があるからだ。

 従来の病院に行く長所はカルテ(データ)が残っているから過去との比較ができるし、医師とのコミュニケーションが取りやすいという点だ。
 病院を替えると過去データとの比較ができないが、初めての相手を診るため、医師の側に基本通りに診ようという意識も働くだろうし、方法(視点)が違ったりで、従来の病院では発見されなかった病気が発見される可能性もある。

 ただ、初めての病院は患者の側にデータがないから、医療技術の善し悪しを含め判断材料がないので不安がある。
私はどちらの選択をするか迷っていた。

 ところが、いよいよ体調不良で2日も寝込んだりしたため、どうしても病院に行く必要を感じていた。
そこで夜10時以降の飲食を控え、翌日の胃カメラ検査に備えた。
それでも当日の朝になってもなんとか行かなくてもいい理由を考えていた。
結局、選択したのはホームドクターのところでミニドックを受けることだった。

 女医さんだが(と言う言い方は少しおかしいが)、町の赤ひげ医師的で、医療の技術者と言うよりは病気の相談者的なところがあり、以前から高齢者が患者でよく来ていた。
 そこで検査を受けながら、その先生に胃カメラ検査について迷っていることを正直に話して相談してみた。

「最近は鎮静剤を打つところがほとんどです。その方が患者さんもゲーゲー苦しまなくていいし、ドクターも検査がしやすいから。意識がなくなっているわけではなく、その間にあなたも受け答えをしているはずです。覚えてないというだけで」
 と言われた。

 私がホームドクターとしてその先生を信頼しているのは、常に患者にわかりやすい説明をしてくれることと、自分の医院でできないことは、別の病院を紹介してくれるし、その場ですぐ電話をし、紹介状を書いてくれるからだ。

 だから信頼しているというのは変な言い方だが、結局、医師と患者の信頼関係は情報開示とサービス、そして医療技術ではないかと思う。
最近流行りの言葉で言えばインフォームド・コンセント(十分に知らされたうえでの同意)である。