2007/04/16

薬の副作用で下痢に苦しむ。

 5月下旬に最初の入院先の福大病院を退院し、通院に切り替えてから主治医との間に色々あり、妻は余計なストレスを抱えるようになりましたが、それでも病院を出て自宅に居るというのは本人の精神状態にはよかったようです。

 ただ病院と違うのは24時間監視体制の中にいて、何かあればすぐ看護師さんが対応してくれるのとは違い、すべて自己管理の下に行わなければならない苦しさがあります。
しかも、まだ妻が日常生活はできる状態だったので、私は毎日事務所に出かけていました。
 いま考えるともっと妻との時間を最優先すべきだったと反省していますが、当時は逆に治療費等のこともあり、より仕事をしなければと思ってもいました。
この辺がフリーの辛さです。

 退院後の妻の容態は表面上はほとんど変化がないように見えました。
ただ、調子がいい日と悪い日があり、その度に家族も一喜一憂していました。
それでも当時の状態は後の一進一退とは比べものにならないくらい明るいものでした。
しかし、この頃から薬の副作用なのか何か分かりませんが、下痢をするようになりました。

 6月中旬のある夜、夜中に目を覚ますと妻が起きて新聞を読んでいました。
下痢が激しくて夜中に何度もトイレに行っていたようです。
あまり頻繁に行くから、どうせ寝てもすぐ行かなければならないのだったら、いっそ起きていた方がいいと思ったようです。
 ここ数日、下痢が続いているだけに、妻は不安そうでした。
そこで私が病院からもらった薬を調べてみると、その中に1つ便通の薬があったので、下剤のせいではないかと思い、明日から取り敢えず便通の薬を飲むのを止るようにと伝えました。
ところが、明け方にとうとう漏らしてしまったようです。

 そう聞くとちょっと心配になり、天神の検査クリニックに診断書を書いてもらいに行ったついでに、妻の下痢のことを話して相談しました。
妻はここのクリニックで膵臓に異常がありそうだと発見されたのでした。
膵臓が弱ってくると下痢をすることもある。
院長のその言葉に思わず目が潤みそうになりました。
せっかく表面的にはいい経過を辿っているように見えても、決して楽観できない。
そう感じました。

 明日は一緒に映画を見に行く予定でしたが、閉鎖空間で風邪等のウイルスに感染でもしたら大変と思い、取り止めることにしました。

2007/02/27

患者は主治医を選べない。

 一見選べそうで、実際には選べないものは世の中に結構あります。
そういう状況を風刺したCMがかつてありました。
機内食サービスで「Fish or Steak?」と聞かれ「Steak」と答えると、「fish only」と言われるCMです。
魚しかないなら「魚か肉」と聞かなければいいのに、一応選べるような聞き方をするわけです。
魚料理にするか、肉料理にするかぐらいなら、まだましです。
これが入院先の病院を選ぶとなると非常に大変です。
ましてや、いい主治医を選ぶことはほとんど不可能です。
まるで宝くじを買うようなものです。
運がよければ当たるし、運が悪ければ結果は悲惨です。

 そのために紹介状があるではないか、と言われそうですが、必ずしも紹介状は絶対的なものではないようです。
 実は私達も福大病院に入院する時、検査をしてもらったかかりつけの医師に紹介状を書いてもらいました。
書いてもらった相手は外科部長で、膵臓の権威ということでした。
実際にお会いしてみると、人当たりのいい、やさしそうな医師でした。
その時この先生なら安心と思いました。

 ところが、いざ病室に行くとベッドには別の先生の名前が書かれていました。
それでも主治医は外科部長だから、名前が書かれている医師は主治医の指示で動く担当の医師だろうと思っていました。
 実際、最初の回診には外科部長が来ました。しかし、そこまででした。
以後は一度も外科部長の顔を見ることもなく、外来に変わってからも外科部長に診てもらうことはありませんでした。

 一体、紹介状は何だったのでしょうか。
その疑問はずっと解けず、後になって紹介状を書いてくれた医師にもその疑問をぶつけてみましたが、彼もおかしいですね、というばかりで結局いまに至るまで分からずじまいです。

 まったく不運としか言いようがありません。
もし、紹介状通りの外科部長が担当してくれていたら、私達はM医師の精神的ないじめに遭うこともなく、その後、病院を替えなくても済んだのです。
 それにしても何の説明もなく、紹介状とは別の医師を主治医にした病院の態度には不信感を覚えます。

2007/02/21

もう、あの先生に診てもらいたくない。

 「もう、あの先生に診てもらいたくない」
そういう妻の言葉に私は同意をしました。
「なんで最初の先生が主治医でなかったのだろう」
 妻は首を傾げます。
実は福大病院に入院する時、紹介状を持って行ったので、当然その先生が主治医になるのだろうと私も妻も思っていました。
ところが、最初にお会いしたきりで、以後はM城医師が主治医のようになったのです。
 なぜ、そうなったのかは分かりませんが、最初に会った先生は非常に優しそうな先生で、あの先生だったら、と私達が思ったのは間違いありません。

 どこもそうですが、大きな病院になればなるほど外来の待ち時間は長くなります。
通院に切り替わるとこの待ち時間の長さが非常に苦痛になりました。
朝9時に行って診察してくれるのが12時過ぎなのです。
毎回こうですから、元気なものでも堪りません。

 待ち時間が長い理由はいくつか考えられます。
まず考えられるのは患者の数が多いということです。
次に患者1人当たりにかける診察時間が長いためです。
3つ目は医師がスローペースだからです。
 そこである時、待ち時間の長さが上記のどれから来るのか観察することにしました。その結果驚くべきことが分かりました。
なんとM城医師は診察室に来る時間が遅いのです。
さらに不思議なのは、他の医師に比べて診ている患者の数は少ないのに待ち時間が長いということです。
もちろん、その分丁寧に診察しているなら、それは非常にいいことです。
ところが、どうもそうではなさそうです。
 それは時々受付の女性にM医師になにかを尋ねて欲しいと頼む時に、毎回決まって非常に困ったような顔をするからです。
しかも簡単な確認事項でも非常に待たされます。
 ある時などは受付の若い女性が涙ぐんでいたので、私達が頼んだことでM城医師に泣かされたのではないかと思い、「意地悪されたのではないでしょうね」と声 を掛けると「いいえ、そんなことはありません」と答えはしましたが、どうもM城医師は横暴な態度で周囲の人達に接しているのではないかと、その時思ったもの です。

 「○○さん、お待たせしましたね。△番にお入り下さい」
そう外来患者を呼ぶ優しそうな声が聞こえました。
なかにはそんな医師もいるんですね。
「待たせてごめんね」
 ひと言そう言われるだけで気持ちがスッと明るくなるものです。
それにしても、病院の外来待ち時間の長さはなんとかならないのでしょうか。

2007/02/09

患者を不安にさせる医師

 病気を治すはずの医師が病人を作る--実はこうした例が結構多いのです。
マスコミ紙上に出る医療過誤は氷山の一角でしょう。
握りつぶされたもの、公表するほどでもない小さなミスは数知れぬほどあります。
 例えば薬の処方箋を間違えたとか、他の人の点滴液に入れる成分を間違って入れたとか、悪くもない箇所を手術で間違って切除したとか、手術後、体内に忘れ物をしたなどというものばかりではなく、もっと表面に出ない医師のモラルに属するようなもの、精神的なイジメのようなものもあるでしょう。

 昔から名医と呼ばれている人は患部を治すだけでなく、患者を精神的にも元気にしています。
いわば患者の治癒能力を高めているといえます。
ところが逆に患者に不安を与える医師もいます。
福大病院整形外科のM医師がそうでした。

 入院から通院に代わってしばらくすると、妻が私にこう言いいました。
「M城先生に見てもらうと、こちらの希望を打ち砕くようなことばかり言うから、かえって病気が悪くなりそう」と。
「食事が出来ないなら喉の外からチューブを入れて流動食みたいなものを流し込むしかないだろう。これは痛いよ。僕ならそこまでして欲しくないけど、それでもしてみるね」
 こんな言い方をされたようです。
こんな言い方をされて患者の気分がよくなるでしょうか。
精神的に脅迫されているのと同じです。
外来で通う度にそんな言い方をされているようで、とうとう妻は「できたら病院を代わりたい」と言い出しました。

 妻の思い込みとか過敏な被害者意識で言っている訳ではありません。
私にも思い当たる節があります。
妻の代わりに薬をもらいに行った時のことです。
「入院していたのを外来で見てくれと言うから見ているので、こちらは頼まれたから見ているだけで、他の病院に行ってもいいんだよ」
 と言われたのです。
 これにはビックリです。
退院したいとこちらが言ったわけではなく「これ以上入院していても同じだからいったん退院して通院と形にしたらどうか」と医師から言われたから退院して通院に切り替えたのです。
しかも、そう言ったのは当の本人でした。

 これでは医師を信頼して治療を任すというわけにはいきません。
医師に見てもらう度に精神的に暗くなるのでは治る病気も治らないでしょう。
ナチュラルキラー細胞(NK細胞)の活性化が癌に効果があると言われるのはよく知られている通りです。
そしてNK細胞を活性化するのに笑いがいいと言われています。
つまりニコニコして過ごせば癌も治るというわけです。

 落語で癌が治ったとか、落語を癌治療に応用しているところもあるそうです。
将来にくよくよせずに楽観的に楽しく生きることがNK細胞を活性化させ、病気も治すというわけです。
それなのに医師の診断を受ける度に精神的に暗くなるというのですから尋常ではありません。
 私は妻の意見に同意し、病院を替えることにしました。

2007/02/08

傲慢な医師の態度

 どうも大病院というところは患者のことは端から念頭にないようです。
待ち時間3時間、診察10分というのはざらです。一体何のための診察かと思ってしまいます。
 患者数が多いのでできるだけ多くの患者を診ようとすると、どうしても1人の患者に時間をかけられない。その狭間で悩んでいるという医師の話を耳にしたこと もありますが、そんな良心的な医師はまだ少数派のように思えます。むしろ傲慢な態度を取る医師の方が多いのではないでしょうか。

 実は妻が最初の病院、福岡大学病院を一時退院し(改善の兆候が見られないので、これ以上病院にいても仕方がないので退院しなさいと「追い出された」)、通院治療に替えた時のことです。
もらいに行く薬のサイクルがなぜか異なるため、毎週病院に行かなければなりません。
朝9時に行って診察の順番が来るのが12時、どうかすると1時になります。
1人で行かせるわけにはいかないので付いていくのですが、妻も遠慮して送ってくれれば後は帰っていいからと言います。
でも、帰宅後は診療疲れ(待ち疲れ)で夕方まで寝ていたと聞けば、やはりできるだけ付いていこうと思うのですが、仕事の関係でそうもいかないこともあります。

 そのうち妻が「この薬も同じサイクルで出してもらえば一度で済むんだけどね」と言いました。
見ると別々にもらいに行っている薬は出される分量が2週間分なのです。
それなのに出すサイクルが違うから毎週もらいに行かなければならないわけです。
もし、出すサイクルを合わせてもらえば毎週ではなく2週間に一度通院すれば済みます。
たったそれだけのことで患者の負担は大きく軽減されるのです。
それで、そのことを担当医師に相談してみようということになりました。

 ところが通院日に妻の体調が悪くなったので、私だけが薬をもらいに行くことになりました。
ついでに薬を出すサイクルを合わせてもらうように頼むことにしました。
担当医師は通院に変わっても入院中の担当医師と同じです。

 そして、薬を出すサイクルを合わせるか、もしそれが無理ならせめて自宅の調剤薬局でサイクルがずれているもう一方の薬をもらえるようにできないかと頼んだのです。
 すると、突然医師が怒り出しました。
「薬だけを出しているのではない。患者の容態も聞いて診察をしているのだ。それを本人が来ずになんだ」
 と怒り出したのです。
たしかにそうでしょう。
だが、今日は妻が動けないから代わりに薬だけでももらいに来たわけで、そのことは最初に医師に伝えています。
しかも毎週来るのが負担だからなんとかならないかと頼んでいるわけです。

 どう考えても失礼な言い方をしたとは思えません。
にもかかわらず、沖縄地方出身のような名前のM医師は突然怒り出したのです。
これには逆にこちらがあっけにとられました。
まあ、それでも結局、薬を出すサイクルは合わせてくれましたが。

 いま考えてもなぜこの時真栄城医師が怒り出したのか分かりません。
もしかすると、患者から指図されたと思ったのかもしれません。
いつも患者に指図している立場だから、すこしでも逆のことをされると腹を立てるのかも分かりませんね。

 実はM医師の態度についてはいろいろあり、その後妻は病院に行くのを嫌がるようになり、他の病院に転院することになりました。

2006/12/30

妻への挽歌

悲しい言葉が 一杯詰まった 詩集を 
1冊持って 夜汽車に乗れば 
涙が 溢れてくるでしょうか
たった一人で 乗った 自分が 
悲しくて 泣くのでしょうか
それとも 置いてきた女が 哀れで
泣けるのでしょうか

バケツ1杯ほども 泣けば 
悲しい過去に さよならが できるでしょうか
汽笛も 悲しく 泣いてくれるでしょうか

どこに行けば 見つかりますか
思いっ切り 泣ける場所は 
どこに行けば 見つかりますか
溢れる涙を 拭う場所が

タライ一杯ほども 泣いた時
明るい明日が 来るのでしょうか

2006/12/24

見舞いを心待ちにする妻

 もしも空が飛べたら・・・。
幾度そう思ったかもしれません。
いつもいつも私は夕方、車を飛ばして病院へ急いでいました。
最初の頃は福岡大学病院へ、それから九州ガンセンターに。
急いでくれ、道を空けてくれ、と心の中で叫びながら、1分でも早く病院に着けるように急いでいました。
そんなに急がなくても、早く仕事場を出れば済むことなのですが、いつもギリギリに出ては急いでいました。

福大病院の頃は春の気候がいい時分でしたが、ガンセンターの頃は雪がちらつく寒い季節になっていました。
日は早く暮れ、寒々しい風景の中をひたすら車を走らせたものです。
もし、空を飛べる車があれば、渋滞にも巻き込まれずスイスイと行けるのにと思いながら。
いま思えば、よく事故を起こさなかったものです。

 病室に行ってもそんなに長い時間いるわけでもありません。
共同部屋ということもありますが、昔から見舞いは苦手でした。
それでも1日1回は顔を出すようにしていました。
時にはベッドで一緒に夕食を摂ったり、妻のベッドに寝ころんでTVを見たり。
たまに1日2回顔を出すと非常にうれしそうな顔をしてくれました。
逆に顔を出せなかった日の翌日は、何もなかった風を装いながらも、「昨日は忙しかったんでしょ」とそれとなく聞いてきます。
そんな時は寂しい思いをさせたと反省しきりです。

 時々そっと妻が言いました。
「○○さんは一度も旦那さんが見舞いに来ないのよ。日曜日ぐらい来てあげればいいのに。
娘さんは時々来ているけど」

 ご主人が来ないのは単身赴任か何かかも分からず、
別に仲が悪いわけではないのかもしれません。
でも、妻のその言葉に、やはり毎日見舞いに来て欲しいのだなと感じました。

 いま思えば、仕事を休んででも、もっと側にいてやるべきでした。
「仕事をしないといけないから」
そう言って、私は仕事に逃げていました。
「ちゃんと仕事をしてね」
妻は私を気遣ってくれました。

 なんとか年は越せそう。
でも、次の年は・・・。
これが最後の正月、とは思いたくない。
しかし、現実を直視すれば・・・。
病室を出て、真っ暗な冬の夜の中に立つ時、とてつもなくやりきれない気持ちに襲われます。
この世には神も仏もないのか・・・。