2006/11/27

インフォームド・チョイスが必要

 病院が好き、という人は少ないだろうが、私はいままでそれほど病院が嫌いというわけではなかったし、診察、検査を必要以上に嫌がったり、怖がったこともなかった。
 ところが、この1、2年、どうも病院(医療法では患者20人以上を収容するものを病院というが、ここでは医療機関全般を指して使っている)が好きになれない。いや、はっきり言うと病院が怖くなっている。だから、検査に行くのが非常に億劫で、なんとか行かなくても済む理由を考え、病院に行くのを1日延ばしにしてきた。

 なぜ、それほど病院が怖いのか。
といっても、小さな子供ではないから病院という建物に恐れをなしているわけではない。中で行われる医療行為に怖さを感じだしたということだ。
 事の発端は胃の内視鏡検査である。内視鏡検査そのものはそれ以前にも胃・大腸で行っているから初めてではなかった。
以前と同じ病院だし、内視鏡検査はうまいという評判のところだったので、その時までは何の不安も感じていなかった。

 ところが、診察台に横になった後の記憶が欠落し、次に覚えているのは別のベッドで目覚めたことだった。検査中のことが全く思い出せないのだ。
後で分かったのだが、鎮静剤を使用し、それで眠らされたようだ。眠らされている間に胃カメラの検査は終わり、後ほど医師から録画モニターを見ながら説明を受けたが、どうもすっきりしなかった。

 当初、私は麻酔を使われたのかと思い医師に抗議したが、麻酔ではなく鎮静剤ということだった。そういえば前回の大腸検査の時は治療中に検査医師が「鎮静剤が効いてない。もう1本打って」と言っていたのを思い出した。
この時は胃と大腸を続けて内視鏡検査をしたのと、大腸検査は初めてだったので、そんなものだと思っていた。

 その後、帰省中に母と内視鏡検査の話になった時、「私は先生と一緒にモニターを見ながら検査した」と母が言うのを聞いて疑問を持った。私の時とは違ったからだ。しかも母の検査の方が後である。
病院が違えばやり方は違う。そう感じた。

 どちらが安心だろうか。
人によるだろうが、私はリアルタイムでモニターを見ながら治療を行ってもらう方が安心である。
少なくとも医師の声は聞いておきたい。

後で結果だけ教えられても、治療中に何が行われたのかが分からない。
はっきり言うと、治療中に医療過誤があっても分からないわけだ。
以来、病院が怖くなった。
内視鏡検査に言い知れぬ恐怖を感じるようになったのだ。
不思議なもので、一度でも恐怖を感じると、足がすくんでもう前へ進めなくなる。小学生の時、跳び箱で失敗してから、以後何度やっても踏切板の前で止まってしまったことがあったが、あれに似ている。

 それから折に触れ、内視鏡検査をしたという人に尋ねてみた。
ある人は鎮静剤で眠っている間に終わってよかったと言い、ある人は事前に医師から2つの方法があるが、どちらでも好きな方を選択するように言われたと言い、ある人は「最近は鎮静剤を使うところが増えているが、私は患者さんと会話をしながらやるようにしているので鎮静剤は使わない。鎮静剤を使って眠っている間にやると楽だが、非常にまれだがミスがないとも限らない。その場合、患者さんに意識がないと状態が分からないからです」と説明を受けたと言う。