2006/11/11

ガンの告知について(2)

 告知しない、と決めた私でしたが、とうとう告知することになりました。
また後程触れますが、いろんなことがあり、半年後九州ガンセンターに再入院することになりました。
 先生にいままでの経過を話し、最後に「実は本人にはガンだと告げていないのです」と話すと
「でも、ここはガンセンターですから、入院すればご本人もガンだと気付かれるでしょう。なにより大事なのは本人も自分の病気のことを分かって、我々と一緒に闘っていくことです。その方が我々も治療を進めやすいし」
 と言われました。

 その通りです。ガンセンターに入院するのだから、ガン以外の病気で入院すると考えるのはおかしな話でしょう。
それでもガンセンターに入院しようと考えたのは、ガンセンターという病院を選んだからではなく、患者(この場合は我々ですが)との信頼関係を築けるドクターを探して、たまたまそのドクターがガンセンターの先生だったというだけです。
ですから入院する予定だったわけではなく、そのドクターが入院治療を勧めたから入院したわけです。

 実は私達は非常に慎重にドクターを選びました。
これは医療とは何かということに繋がってくるのですが、そのことは後に触れるとして、簡単にそこに至るまでの経過を説明すると、人の紹介である先生に会いました。
 その方はすでに現役を離れていらっしゃいましたが、妻と2人でその先生に会い、話をして、非常に信頼できる先生だと私達は感じ、その先生が紹介してくださる先生だから、同じように信頼できそうだと思ったのです。

 ドクター仲間の評判はよくても、患者との関係は違うということは往々にしてあります。
むしろそうした例の方が多いかもしれません。
だから「一度お会いになって決められませんか」と、その先生が勧めてくださったのです。
「この先生ならよさそう」
ガンセンターで私達が会った直後、妻は晴れ晴れとした顔でそう言いました。

 いずれにしろ、主治医から告知した方がいいのではと言われましたが、私は即答を避けました。
「少し考えさせてください」
 その場では、そう答えました。
 それから数日、迷いました。
これが膵臓や肝臓でなければ、もっと以前に告げていたでしょう。
それはいろんなものを調べた結果、かなりの部分治るという確信のようなものを抱いていたからです。
でも、調べれば調べる程、膵臓はわずかの希望さえ打ち砕いていきました。
 春以降、私は仕事もほとんど手に着かない状態でした。
またしてはインターネットで調べる、そんな時間を過ごしていました。

 結局、病名を告知することになりましたが、それは正直に打ち明ければ、私自身が自分に負けたのでした。
自分がガンだと分かり苦しむ妻のことより、結局、私が秘密を守り通す苦痛から逃れたかったからです。
許して欲しい。
いまはひたすら妻に許しを請うています。
それから5年。
いまでも私は告知したことを後悔し、すべてを投げ捨ててでも妻の看病につくさなかったことを後悔し、許しを請い続けています。