2006/11/09

治療に疑問を持ち始める

 本人にガンと告知しないと決めましたが、そのことでいくつかの困ったことがおきました。
1つは妻が病院の治療に疑問を持ち始めたことです。
3月5日に福大病院に入院し、5月19日に退院しましたが、退院といっても普通に言う病気が完治しての退院ではなく、抗ガン剤(とは本人に知らせていません)と放射線治療の1クールを終えた、つまり一応治療をしてみたが、効果も現れず、かといって転移もせず、現状維持なので、あとは通院治療に変えましょうという退院です。

 それでも本人にしてみれば、どんな形であれ退院というのは希望があるわけで、やはりどこか明るい気持ちになります。
 以後、1週間に一度通院するのですが、通院しても月に一度血液検査をするだけで、あとは薬をもらうだけです。
それも散々待たされて。

 薬をもらうだけといっても、そこはそれ、一応主治医が問診をしてから薬ということになるので、診察の順番待ちをしなければなりません。
それも9時に行っても12時近くにならないと診断してもらえません。
4時間も待ち時間があると健康な人間でも疲れます。ましてや病人です。待ち時間が病気を悪化させるようなもので、病人を再生産するためにやっているのではないかと疑いたくなりました。

 この辺りが大学病院のおかしな所ですし、今の医療の問題と絡めてこのことは後程詳しく触れてみたいと思っています。
 いずれにしろ本人が薬しかくれないのならもっと効率を考えて欲しいと考え出したことに加え、もらっている薬の中身が痛み止め中心だということに疑問を持ち始めました。
幸か不幸か同じマンションに九大病院に勤務されている人がいて、そこの奥さんと話をしている時に本人がそのような疑問を口にすると、それはおかしいですね、九大にいい先生がいらっしゃるから聞いてあげましょうか、というような話になりました。

 そしてそのことを妻が私に言います。
「痛み止めの薬だけで、病気を治すための積極的な治療をしてないのはおかしいと思わない。そんな治療しかしないのなら九大病院を紹介してあげると言ってくれてるのだけど」
 と。
これには正直参りました。

 いまさら手術も出来ない、できることは痛みを和らげることぐらいだ、とはいくらなんでも言えません。
「痛み止めの薬だけではないだろう。何種類ももらっているし、いまは入院中の治療の効果がどのように出てくるか、その様子を見ながら治療してくれてると思うよ。入院中はよくしてもらったでしょう。ドクターを信じなきゃ」
 と、分かったような分からないような説明をして、なんとなく本人の疑問をうやむやにしました。

 でも、ただうやむやにしただけですから、同じ疑問が本人の中で何度も頭を持ち上げてきます。
それを問い質されるのが辛かった。
一度など怒ったことさえあります。

「ぼくが何か隠しているわけではない。先生から全部聞いているし、そのことはお前にも全部話しているよ。状況を見ながら治療しているのだから、病気に打ち勝つには体力も付けないとダメだと思う。そして次の段階を行うのだから。病は気からと言う言葉があるけど、”気”というのは”気持ち”ということもあるけど、”気”のエネルギーということで、マイナス思考をしていると”気”が弱ってくる。病気は”治る”のではなく”治す”んだと思うよ」

 今考えると、私は随分妻に厳しいことを言ってきたと思い、反省をしています。