2006/11/08

対応が分かれた2人の友人

 告知しない、という私の選択は正しかった。
妻の叔母に話した時、そう納得しました。
 それは叔母が
「私も乳ガンと知らされた時、世の中が一変してしまった。もう生きた心地がしなかった。知らされん方がよかった。容子も私と性格は似ているから、強そうに見えても実際は違う」
 と話してくれたからです。

 でも、黙っているのは結構辛いものです。
「ロバの耳」を思い出していました。
喋ってはいかんと言われれば言われる程喋りたくなり、とうとう土を掘って、穴に向かって「王様の耳はロバの耳だ」と言うあの話です。
結局、独り秘密を持ち続けることができず、母と、妻の最も近い身内の叔母、それに友人2人に喋ってしまいました。

 1人の友人は兵庫県なので、彼に喋ってもそこから話が広がる恐れはないという安心感から、つい打ち明けたのですが、以来、彼は10日と空けずに電話をくれ、「奥さんの具合はどうね。自分は大丈夫か。自分まで倒れたらなんにもならんで。そうか元気ならいいわ」
 と励まし続けてくれました。

 もう1人は福岡にいる、古くから知っている知人ですが、彼の対応は正反対で、見舞いどころか妻の葬儀の時にも現れませんでした。
 思えば、彼がいままで私に近付いてきていたのは、私が利用できると思ったからで、妻の入院で私が忙しくなると利用価値がなくなると思ったのでしょう。