2006/11/07

ガンの告知について(1)

 ガンの告知はすべきかどうかーー個々に意見の分かれるところだと思います。
妻が最初に福大病院に入院し、検査結果が出た時、私が医師に呼ばれてガン、それも末期だと告げられました。
それと同時に、病名を本人に告げるかどうかの決断をその場で求められました。1人で決断するにはあまりにも重すぎる問題です。
できれば数日、考える時間が欲しい。それがその時の私の偽らざる気持ちでした。

 この時、私はその年の正月に妻と交わした会話を思い出しました。
私の実家は岡山県北で、いまでも母はそちらに居ます。
父は9年前に亡くなりましたが、父が健在な頃から、正月は両親がこちらに来て家族4人で過ごすのが習慣になっていました。
父が亡くなってからは家族3人になりましたが、それでも年末近くになると母がやってきて、正月を一緒に祝うようにしていました。
その年の正月も母が来ていました。

 話のきっかけは忘れましたが、なぜか墓やガンの話になりました。
「もしガンになったら、そうね、ぼくは知らせて欲しいな。お前は?」
 と妻に聞きました。
母ではなく妻に聞いたのは、老い先短い母にそれを尋ねるのは仮定の話ではなくなりそうな気がしたからです。
だが、私や妻の場合は「死」を話題にしてもまだ仮定の話です。
当分、縁がない、と思っていましたから。

「私は自分の人生だから知らせて欲しい」
 妻はそう言った後、少し躊躇って
「いや、知らせて欲しくない」
 と、前言を訂正したのです。

これは少し意外な反応でした。
私の場合は「知らせて欲しい」と言いましたが、それは多少粋がって言った部分があり、内心は、もし自分がガンだと分かったらとても冷静ではいられないだろうと思っていました。
その点、妻の方がしっかりしていると考えていましたから、妻の「知らせて欲しくない」の言葉は、私には随分意外な気がしたものでした。

 ともあれ、医師から告知するかどうかの決断を迫られた時、ふいにその時の会話を思い出しました。
「知らせません」
「分かりました。それなら我々も本当の病名は伏せておくことにします。しかし、大事なのは一度決めたらそれを途中で変えないことです」

 かくして、妻にはガンを伏せたまま病院側も接することになりました。
だが、根掘り葉掘り聞かれた時、どう答えるか。
その答えが私と病院側で異なると不審を抱かせ、逆にガンだと思わせることになります。
そこで膵臓に腫瘍が出来ているという部分までは言ってもいいと医師に伝えました。
というのは、腫瘍らしいものが出来ているということは、すでに入院前から本人も知っていたからです。だから冷静に考えれば腫瘍=ガンだということは分かるはずです。
でも、我々はそれで押し通しました。

妻もその頃はどこが痛むというわけでもなく、健康体そのものという感じだったので、それ以上疑わなかったようです。
実際、非常に明るくて、当時見舞いに来た人も「本当に病気なの? 私らの方が病人みたいよ」などと笑っていました。
本当に私もガンというのは誤診ではないかと思った程でした。