2006/11/05

異常を訴えた妻

 妻が異常を訴えたのは2001年の正月でした。
背中の辺りが痛いと言い、正月3が日はまさに寝正月です。
でも、その時は疲れからくる腰痛ぐらいにしか考えていませんでした。
元々我慢強いタイプでしたが、余程痛かったのでしょう、正月が明けるとすぐ病院に行き検査をしてもらいました。
大きな病院でしたが、検査で異常は発見されませんでした。
それでも、本人がおかしいと思い、別の所で再検査をしてもらった結果、膵臓に腫瘍が見つかりました。

そして福大病院に入院したのが3月。
再び数週間かけて再検査です。
ドクターから告げられた言葉は「末期ガン」。
「手術は非常に難しいので勧められない」ということでした。

「私達が言う”末期”と世間一般によく言われる”末期”とは違います。末期だと言うとすぐホスピスに走ったりする人がいますが、そういうことはしないで下さい」
「治療は放射線を主体に行います。抗ガン剤も併用したいので、使用を認めて欲しい」
「認めて欲しい」とドクターが言ったのは、抗ガン剤は副作用が激しいから嫌がる人が多いためでしょう。

抗ガン剤と聞いて、私が考えたのは夜間投与でした。
抗ガン剤の夜間投与で効果を上げている例をTVで見たことがあったからです。
それと同時に看護婦の勤務態勢の問題があり、24時間治療を実施できる病院が極限られていることも知識としてありました。

「ちょっと生活は規制されますが、24時間点滴を行います」
そう言われた時、このドクターは抗ガン剤の夜間投与のことを知っているなと思いました。大学病院では勤務態勢上、それができないので、24時間点滴をするのだろう、と。
それで私は抗ガン剤治療に了承しました。

 でも、最後にどうしても知っておかなければならないことがありました。
それは余命の問題です。

「余命はどれくらいですか」
私は漠然と、あと2年もすればガン治療は飛躍的に進むと考えていましたから、余命2年なら助かる確率があると思ったのです。
「10カ月から持って1年です。近くに血管があるのでそこに浸潤すればもっと速くなるでしょう」

職業柄ということは分かります。
でも、この時ほど医師の無情を恨んだことはありません。
上を向いて必死に耐えました。
下を向くと涙がこぼれ落ちるから。
もう何も言えなかった。
言葉を発すると嗚咽が出そうだったから。
ひたすら奥歯を噛み締めて耐えました。